神奈川と親鸞 前編第8回

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神奈川と親鸞 第八回 筑波大学名誉教授 今井 雅晴  仲間の念仏者たち ⑴熊谷直実➁―法然に救われる―
法然像。向かって右に顔を傾けているのは、まず相手の話を聞いてあげようという気持ちを示している。『拾遺古徳伝絵』より。茨城県鉾田市・無量寿寺蔵

法然像。向かって右に顔を傾けているのは、まず相手の話を聞いてあげようという気持ちを示している。『拾遺古徳伝絵』より。茨城県鉾田市・無量寿寺蔵

 源頼朝のもとを飛び出し、京都に走った熊谷直実。直実は極楽往生を保証してくれるらしい吉水草庵の法然を訪ねた。この時直実は五十歳過ぎ、武士として人殺しを重ねてきた自らの悪行に慄然としていた。この罪によって地獄に堕ちるに違いない。  会ってくれた法然は、「いままでの悪行がどれだけ重いかとは関係なく、念仏さえ称えれば往生しますよ」と答えた。これを聞いた直実は「さめざめと泣」いたという。それは、   手足をもきり命をもすててぞ、後生はたすからむずるぞとうけ給はらんずらんと存ずるところに、ただ念仏だにも申せば往生するぞと、やすやすと仰をかぶり侍れば、あまりにうれしくてなかれ侍る。 (『法然聖人行状画図(四十八巻伝)』。 「手足を切り、命を捨てなければ極楽へ往生できないと仰ると思ったのに、念仏さえ称えれば往生できると軽く言われたので、あまりにうれしく泣けてきました」。直実は法名を法力房蓮生と与えられて熱心な念仏の行者になった。  ある日、吉水草庵で会合があった。遅刻した直実が入ると、多くの門弟がいて親鸞が何かノートに書きつけている。直実が様子を聞くと、親鸞は「極楽往生のためには信不退(阿弥陀仏の本願を信ずること)か、行不退(念仏を数多く称えることによって得られる功徳)が重要か選んでもらっています。聖覚殿と信空殿が信不退の席に入られただけです」と丁寧に答えた。直実は親鸞より三十二歳の年上の兄弟子である。そこまで聞いた直実は、   然者法力もるべからず、信不退の座にまいるべし。 (『親鸞伝絵(御伝鈔)』) 「それなら私も漏れたくない、信不退の席に入りましょう」と言った。他の門弟たちは誰も答えることができないでいる。親鸞は自分の名を信不退の中に書き入れた。少し経って法然も「私も信不退の席に入りましょう」と述べたという。  一本気で熱心な直実は、高声念仏(大きな声で念仏を称え続けること)で亡くなった。死期は立札で予告してあったので、大勢の人たちがそれを見守ったそうである。

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