東国真宗出版物

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○東国真宗研究所では以下の出版物を、会員様に無料配布しております。
 非会員の方にも販売しております。

東国真宗創刊号 2015.8
小山聡子「モノノケの調伏と囲碁・雙六
斎藤信行「初期真宗の思想史的研究 ――教団の変容と信仰の変質――」
南條了瑛「築地本願寺訪問者数の調査 〜国内における国際伝道の可能性〜」
橋本順正「相模国と親鸞:一切経校合を中心に」
関朔太郎「下野薬師寺における信仰と思想的基盤」
小室一典「親鸞と倫理 ―人生をいかに生きるか―」
今井雅晴
親鸞伝の新研究
➊「親鸞の誕生と日野氏」
➋「出家と比叡山延暦寺での修行」
❸「京都六角堂の観音菩薩のお告げ」 
❹「専修念仏の法然に入門」  
❺「恵信尼との結婚 ➀―三善氏―」
➏「恵信尼との結婚 ➁―吉水草庵での出会い―」
❼「吉水草庵での学び」 
❽「専修念仏者への非難と攻撃」
親鸞聖人とともに歩んだ恵信尼さま 2016.2
貴族の女性として、僧侶と結婚に踏みきった恵信尼さまは、87年の生涯をどのように生きたのか。誕生から結婚、京都や関東での生活、越後での老後、3つの時期に分け、その教養やバイタリティーに迫る。

1 妻として。京都・越後にて
恵信尼さまのころの家庭生活/貴族の女性の能力/学問と信心の家-三善家/政治の家-三善家/流罪の実態/越後の流人生活-何が大変だったのか

2 一家を支えて。関東にて
関東への旅-聖ではなかった/聖徳太子への崇敬-結婚生活の手本/文法からの研究「し」と「けり」/上野国佐貫で三部経千回読誦を見守る/常陸国下妻で夫は観音菩薩という夢を見る/夫を信頼する妻(1)九条兼実の妻藤原兼子/夫を信頼する妻(2)源義経の妻静御前/なぜ稲田に住んだのか-宇都宮頼綱の招き/布教-大きかった妻の力

3 一族のリーダーとして。再び越後にて
一人で帰った親鸞聖人/越後で支える妻恵信尼さま/家族のリーダー:子どもたち孫たちへの思い
中国・大連大学日本語言語院の5日間 附:大連本願寺を訪ねて 2016.2
東国真宗第二号 2016.4
今井雅晴「玉日伝説研究の基本的視点 ―関白九条兼実を軸に―」
小山聡子「藤原道長と娘たちの死 ―モノノケへの対処を中心に―」
南條了瑛「親鸞の伝道 ―鬼の恐怖に対して―」
橋本順正「親鸞と宇都宮一族」

東国真宗第三号 2016.11
黒田義道「中世真宗談義本の研究」
橋本順正「親鸞の佐貫三部経千部読誦について」
小室一典「還相回向の研究」
工藤洋平「医のなかのほとけ」
橋本顕正「親鸞出家の地と師」
小柴隆幸「世をいとふしるし」
今井雅晴
親鸞伝の新研究
⑨「越後流罪」
⑩ 「越後での流人生活」
⑪ 「関東移住の目的」
⑫ 「宇都宮頼綱の招き」
⑬ 「越後から稲田への旅(1)─千部経読誦─」
⑭ 「越後から稲田への旅(2)─上野国・下野国をめぐる親鸞─」
⑮ 「稲田とはどのようなところだったか」
⑯ 「二十四輩」
⑰ 「山伏弁円」


○今井雅晴所長の書籍
一切を捨て念仏の旅に生きた時宗の祖一遍の峻烈な生涯の軌跡をさぐるべく人名・寺社名・思想・法語・書籍・儀礼・組織・美術・…
一切を捨て念仏の旅に生きた時宗の祖一遍の峻烈な生涯の軌跡をさぐるべく人名・寺社名・思想・法語・書籍・儀礼・組織・美術・歴史など250項目を解説。概説「一遍とその時代」は入門に至便

生死を越える達観、悠然火中に赴く剛胆、修行が生む力(スーパーパワー)。道鏡、文覚、一遍、一休、快川等、日本の僧侶(アウトサイダー)たちの不可思議な魅力。「一休ばなし」は何を語っているか──颯爽(さっそう)と生きて、しかもひとつひねった発言。民衆はしだいに一休にひきつけられていった。……京都に喉の病気を治す秘伝の方法を知っている老人があった。一休がぜひ教えてほしいと頼むと、「よろしい教えましょう。ただしこれは家伝来の秘法なので、決して他人に話さないと約束して下さい」という。一休は約束し、その秘伝の方法を教えてもらった。ところが、一休はその内容を立て札に書きつけて各地に立てたのである。先の老人が怒ると、「話さないと約束したが、書かないと約束した覚えはない」と答えたという。秘密主義・秘伝主義への批判である。……次のような話もある。京都の町の家々では、正月の三が日には表戸を閉めることになっているという。これは一休が髑髏(どくろ)を竹の先につけて、「ご用心、ご用心」といいながら一軒一軒のぞきこんだからである。……一休は、明日の命をも知れぬ人間社会の無常を突きつけて、生死を越える世界に目を開いてもらいたいと考えていたのである
虎塚古墳、『常陸国風土記』、平将門の乱、古河公方、結城氏新法度、水戸藩の成立…と、原始時代から現代までを県民の立場から叙述。 通史で読む郷土の歴史。地域で活躍した人物や歴史上の重要事件を、県民の視点で平易に叙述。市町村合併に対応した第2版。
  性の悩み・出世の壁・弾圧・貧困。すべての「苦」を「楽」に転じた心とは?800年の歳月をこえて人びとを惹きつける親鸞の魅力。 八百年の歳月を越えて人々を惹きつける親鸞の魅力とは何か。性の悩み、出世の壁、弾圧、貧困などすべての「苦」を「楽」に転じた心とは…。今もなお人々の心を励まし続ける親鸞の生涯と思想をやさしく説く。

最新の研究成果を書きおろし。僧が女性を救うという「女人救済」は本当か?遊行の真実を探る。 家も家族もなにもかも捨て、日本中を16年間にわたって歩いた一遍。なにが彼を旅にかりたてたのか、僧が女性を救う「女人救済」は本当か、など最新の研究成果をまとめる。

 浄土真宗の開祖・親鸞には妻子がいた-。僧侶の結婚はご法度であるという風潮の中で、結婚が親鸞の生活と信仰にどのような影響を与えたか、またその妻子は彼をどう思っていたのかを、新たな視点で考察する。

衣食住・家族のすべてを捨て、「捨聖」と呼ばれた時宗の開祖一遍は、ひたすら「南無阿弥陀仏」と唱え、全国を遊行し念仏を勧めた。物質万能主義の現代人に「捨てる」豊かさの意味を考えさせる心のメッセージ。

関東に在住していた時期の親鸞の活動、地域の門徒集団の形成・発展、信仰のあり方、本願寺との関係を、社会の実態に即した視点から明らかにする。中世関東における浄土真宗の歴史的解明から、真の親鸞理解をめざす。

  親鸞を祖とする浄土真宗隆盛の陰に、本願寺一族の親と子の葛藤があった。親鸞の教えをいかに受け継ぐかをめぐり、親子は対立する。真宗の歴史をひもときながら、親と子の問題を探る。

本書は、フィラデルフィア美術館に所蔵される日本仏教美術を中心に、日米交流についてまとめたものである。 日本中世史を専門とする大学教授の著者が研究生活を送った、フィラデルフィアの日米交流の歴史を見つめ直す。フィラデルフィア美術館に数多く所蔵される日本の仏教美術品の調査を中心に構成。

賦算と踊り念仏によって、中世社会に広く受容された一遍と時衆教団の展開と変質の過程を、社会的・文化的側面から解き明かす。 賦算と踊り念仏によって、中世社会に広く受容された一遍と時衆教団の展開と変質の過程を、時衆と他宗派との交流、時衆と武将たち、時衆と芸能などの観点から論考し、社会的・文化的側面から解き明かす。

 筑波書林 2000

  豊富な史料を読み解き真宗史の常識を覆す新たな親鸞像。 妻・恵信尼、長男・善鸞、関東の門弟たち-。親鸞とその家族・門弟たちの問題解決への努力から、明日に向かって生きる道を学ぶ。豊富な史料を読み解き、真宗史の常識を覆す新たな親鸞像。

争乱にあけくれた中世社会を生きた人びとの信仰の世界を検証し、心の深奥をさぐる。 日本の中世社会に重要な役割を果した仏教の展開と、中世の人びとの心のなかを探ることを目的に編集。14人の研究者の論文で構成し、文化史的、学際的な関心の強い論文を多く収録する

僧侶としては禁止されていた結婚を公認し、家族を持った親鸞。その生活に一生つきあった家族の様々な葛藤によって親鸞の信仰体系が作り上げられたという視点から、家族と子孫の生活を究明し、浄土真宗史を捉え直す。

法然の念仏の伝統を受け継ぎ、「南無阿弥陀仏」の名号に意味を見出した一遍。純他力といわれるその念仏信仰を、衣食住と家族のすべてを捨て、全国を遊行して歩く姿に発見。「一遍聖絵」を通して、捨てる思想を考える。

大正10年に発見された「恵信尼書状」により、実在が明らかになった親鸞の妻・恵信尼。その87年の生涯の岐路となる、旅で見た“夢”に焦点をあてつつ、親鸞と恵信尼が中世の世をいかに生き抜いたかを描く。

鎌倉時代の東国で、親鸞聖人はどのような人々を相手に、教えを説いたのか。代表的な弟子達に焦点をあて、彼らの生活と親鸞聖人の教えがいかに結びついたかを説く。

【目次より】
親鸞聖人のイメージ
息子・善鸞を勘当した親鸞聖人 悪人正機説を強調する親鸞聖人 他

歴史のなかの親鸞聖人
親鸞聖人の時代と私たちの時代 他

東国の人々と親鸞聖人
東国の門弟 山伏弁円
二十四輩第一・性信について 他

家族・友人のなかの親鸞聖人

友人のなかの親鸞聖人 家族のなかの親鸞聖人

親鸞聖人は東国の人々をいかに感動させたか

念仏往生の教え 信心の念仏と信頼 報謝の念仏

親鸞は壮年期の約20年、茨城を関東布教の拠点とした。茨城は、親鸞が宗教指導者としてその若き血肉を傾けた、まさに浄土真宗の聖地である。本書は、親鸞が目にしたであろう茨城の風景を追体験するとともに、親鸞が現代に残してくれた風景を克明にたどるものである。

日本史上に足跡を残した名僧34名の珠玉のことば。心にしみる言葉の理解のために、名僧の生涯を辿り、現代語訳と平易な解説を付す。 古代から近世まで、三四名の名僧の珠玉のことばを集成。名僧のことばをより深く理解するために、詳細な生涯を紹介し、時代背景を読む。読みやすい大きな活字を使用。現代語訳と解説を収載した分かりやすい編集。さらに詳しく知るための手引きとなる、出典と参考文献。検索に便利な索引を付す。

六角堂参籠、法然聖人への入門、恵信尼さまとの出会いなど、その後の人生を決定づけた29歳の時のできごとに焦点をあて、道を求め苦悩する親鸞聖人の実際に迫る。

【目次より】
親鸞聖人の出自について 比叡山での修行  六角堂参籠

参籠の形について/観音菩薩の夢告 聖徳太子について/暁をめぐって
法然聖人への入門

他力と自力/選択の時代/末法思想の中で 吉水草庵の法然聖人/法然聖人への入門
吉水草庵での学び  恵信尼さまとの出会い

吉水草庵での出会い/三善家の伝統 黒谷の念仏者

家族と共に関東に移住した親鸞聖人、その関東で最も長く住む稲田草庵とはどんなところだったのか。法然門下の宇都宮頼綱をはじめ、聖人を慕う門弟達の動向を交えて歴史的に実証してゆく。

【目次より】
「関東」と「稲田」についての再検討

『親鸞伝絵』による誤解/常陸国は豊かなところ 稲田は賑わっていた/稲田神社と『教行信証』
笠間郡稲田郷の領主・宇都宮頼綱

下野国中南部の大豪族/笠間郡(新治東郡)への侵略 法然の門弟となる/稲田頼重
九条家領常陸国小鶴荘

恵信尼の父三善為教は関白九条兼実に仕える
常陸国小鶴荘  専修念仏の布教

呪術は当時の科学/人間性  『教行信証』の執筆

参考文献をどこに求めたか 周囲の人々の学問的水準




親鸞聖人や恵信尼に大きな影響を与えた九条兼実。その人生および鎌倉期の貴族社会を、兼実の実母、妻、娘など彼に関わる女性たちを通して浮き彫りにする。

【目次より】
三善家・日野家と九条家/九条兼実/実母 加賀/嫡母 藤原宗子/養母 藤原聖子/乳母 御匣殿/
妻 藤原兼子/息子良通の妻 帥/娘 九条任子/孫 昇子内親王

手紙から見えてくる、親鸞とその妻・恵信尼の生活と信仰。わかりやすい意訳と解説・語注・脚注をつけた、現代語訳の決定版。

常に日本中世宗教史研究を先導してきた、筑波大学名誉教授・今井雅晴先生の古稀を記念して、国内のみならず海外にもおよぶ幅広い層の研究者が、親鸞と浄土真宗史研究の進展を期した最新研究28本を寄せた大冊。


平安・鎌倉期の政治や文化を担った後鳥羽天皇や九条兼実、北条政子など、親鸞をめぐる貴族と武士に焦点をあて、各人物の生きざまを史書をひもとき考察。親鸞が生きた時代に迫る。

【目次より】
日野範綱/日野宗業/三善為康/三善康信/九条兼実/九条良通・良経/九条任子/熊谷直実/宇都宮頼綱/塩谷朝業/笠間時朝/稲田頼重/三善康清/大胡実秀/北条政子/北条泰時/後鳥羽天皇


越後流罪を許されたのち、42歳の親鸞は家族とともに関東へと向かう。ひとり京都に戻る60歳頃までの20年間弱の時間は、円熟する人間親鸞の思想形成において、どのような影響をもたらしたのだろうか。親鸞伝絵に描かれる場面描写や各種史料典籍を手がかりに、著者自らが下野(栃木県)を丹念に踏査。親鸞の史跡をつぶさに追いかけ、豪族・宇都宮頼綱はじめ、高田門徒、二十四輩の門弟たちなど、親鸞と深く関わった人々とどのように関わり、どのように教えを説いたかを簡明にひもとく。

【目次より】
1、京都・越後から下野へ/2、親鸞、下野をめぐる/3、宇都宮頼綱とその一族/4、親鸞と高田/5、高田門徒の発展/6、二十四輩の門弟たち/7、親鸞と和讃など/8、親鸞没後の浄土真宗


親鸞聖人が関東の拠点とした稲田草庵から、典籍を求め度々足を運んだ鹿島神宮。その道のりにある「お経塚」「爪かき阿弥陀堂」など聖人ゆかりの旧跡を巡り、聖人が歩まれた常陸国の真宗風土を味わう。

【目次より】
親鸞聖人と常陸国/常陸国府跡/霞ヶ浦の御草庵=如来寺
お経塚/爪かき阿弥陀堂/鹿島神宮
無量寿寺(鉾田市鳥栖)/無量寿寺(鉾田市下富田)


日本最大の宗派を築いた聖人の生涯! 稲田西念寺・大部真仏寺・高田専修寺など、東国各地に残る親鸞の足跡から新たな人物像を描く。 恵信尼らを伴い、常陸を拠点に布教を行った浄土真宗の開祖親鸞。関東で支持を拡大し、日本最大の宗派を築いた活動の実態を、息子善鸞義絶の真相にも触れ描く。東国各地に残る親鸞の足跡を巡って、新しい人物像に迫る。

恵信尼さまが鎌倉時代の習俗のなかでどのような生い立ちであり、親鸞聖人とともに京都を離れ、新天地でどの様な暮らしぶりをされたか。その生活力を今日に生かす。

【目次より】
選択の時代  恵信尼さまの出身

京都の貴族出身説と越後の豪族出身説 中級の貴族・三善家
京都における恵信尼さま

日常的な生活 家庭的・社会的あり方-自立に関して-
親鸞聖人との結婚  尼・恵信

越後から関東へ 親鸞聖人の帰京
越後での生活と尼恵信 恵信尼さまの出家


僧侶とその妻、自立と信頼で支え合う夫婦の形。

伝承を通して見えてくる、人々の願いと救い。

妻・恵信尼、息子善鸞など血族との関わり方から、親鸞聖人の家族に対する思いをひもとき、その絆が果たした社会との関係を探る。

【目次より】
親鸞聖人と恵信尼さまの絆/東日本大震災と絆
親鸞聖人と親兄弟の絆/親鸞聖人と子どもたち
親鸞聖人と息子善鸞の絆/親鸞聖人の父親像・母親像

「捨聖(すてひじり)」とも「遊行(ゆぎょう)上人(しょうにん)」ともいわれる一遍。彼が生きた鎌倉時代は激動する不安な社会であったことから、極楽浄土に生まれ変わることを願う阿弥陀信仰が盛んだった。一遍は16年間全国を旅しながら、衣食住にしがみついて念仏に集中できない人々に、一切の執着心を捨てよと諭した。「捨てる思想」を体現した一遍の言葉を『一遍聖絵』『一遍上人語録』などから読み解く。 衣食住にしがみつくな!「捨てる思想」を自ら実践した遊行僧のすごい生き方。

現代に生きる親鸞。歎異抄の原文に平易な現代語訳を付し、丹念にひもとく。今なお人々の心を惹き付けてやまないその思想を探り出す。 浄土真宗の開祖親鸞のことばを門弟の唯円がまとめたとされる歎異抄。原文に平易な現代語訳を付し、丹念に読み解きながら親鸞の思想を探り、生き様も描く。今なお心に響くことばから、現代人の生きる指針をみつめる。

はたして念仏は禁止されたのか。仏教史上まれにみる極刑に遭った法然門下。最近の論考や史料により、流罪の実相を検証する。

【目次より】
流罪に関する従来の見方と問題点/貴族の出身 親鸞聖人
念仏禁止の実際/後鳥羽上皇の処断/流罪と流刑地
なぜ流刑地が越後だったのか/越後国での実際の生活/後鳥羽上皇への非難
親鸞聖人は越後流罪を嫌がってはいなかった

なぜ、親鸞聖人は、関東から帰洛する際にわざわざ険しい道を選び、箱根権現を訪問したのか。『親鸞伝絵』を制作した覚如の意図するところをも歴史的に検討する。

【目次より】
親鸞聖人の箱根権現訪問/箱根権現と鎌倉幕府
青蓮院と慈円/親鸞聖人と聖覚/聖覚と青蓮院
聖覚と鎌倉幕府/箱根権現に至る道-二つの東海道-/暁の箱根社
その後の親鸞聖人と聖覚/『親鸞伝絵』の制作者覚如の意図