神奈川と親鸞 前編49回

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神奈川と親鸞 第四十九回 筑波大学名誉教授 今井 雅晴
鎌倉市小袋谷の成福寺

亀の窟。成福寺

亀の窟。成福寺

 鎌倉市小袋谷(こぶくろや)にある成福寺は、北条泰時の末男泰次が貞永元年(1232)に親鸞の門弟の成仏となって開いた寺院とされている。小袋谷は、JR大船駅から東海道線を分かれて南東に下る横須賀線に乗って、北鎌倉駅に至る中間の地域である。成福寺は北鎌倉駅に向かって左側の線路沿いに建っている。

  『新編相模国風土記稿』成福寺の項に次のように記されている。
  寺伝に云、成仏は北条泰時の末男にて、初めは泰次と称す。親鸞鎌倉八幡社にて
  大蔵経校合の時、泰次謁して彼宗に帰依し、遂に師資の約をなし、
  薙髪して名を成仏と改め、当所の窟に在りて念仏修行の時、
  明星天子の霊告を感得し、当寺を起立すとなり。
  今、堂後にある亀の窟は、即成仏幽栖の跡なりと云。

 「成福寺の伝えによれば、成仏は北条泰時の末の男子で、初めは泰次という名でした。親鸞が鎌倉鶴岡八幡宮で一切経の校合をした時、泰次は親鸞にお目にかかって念仏の教えに入りました。そしてとうとう師弟の契約をし、髪を下ろして法名を成仏としました。成仏が今の成福寺の場所にある窟の中で念仏修行をしていた時、明星天子のお告げをいただいて成福寺を建立したのです。現在、寺の建物のうしろにある亀の窟は、成仏がひっそりと暮らした住居の跡と言われています」。
 文中、明星天子は虚空蔵菩薩と同体とされている。弘法大師空海は四国の室戸岬で修行していた時、明星が口の中に飛び込んできて導かれたという。また親鸞53歳の時、常陸国の稲田から下野国高田に入った時、やはり明星天子の指導を受けたとされている。一連の伝えは興味深い。
 親鸞はこの年60歳、関東生活を終えて京都に帰った歳と推定される。成仏は関東生活最後のころの門弟ということになろうか。また幕府の執権北条泰時は、直接間接に親鸞と関わりが深い。次回は泰時の長男時氏について触れたい。

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