神奈川と親鸞 第六十八回 筑波大学名誉教授 今井 雅晴
真楽寺と親鸞⑶─蓮如の謡曲『国府津』─
蓮如の御文(御文章)『国府津』は、東国巡拝の折に国府津に立ち寄り、親鸞教化の話に感動したことを文章にしたものである。現代では『国府津』は蓮如作の謡曲とされているが、もとは御文だったのを後世に謡曲としたものである。謡曲とは能楽の台本である。
『国府津』は次のような内容が書かれている。
(前略)是は都方(みやこ・かた)より出たる一向専修の念仏者にて候。偖(さて)も
我(わが)祖師 東関のさかひに二十余回の星霜をかさね、辺鄙(へんぴ)の郡萌を
済度せしむ。
中にも相州足下の郡江津(こうづ)に、七年御座をしめ給う霊場なれども、未だ参詣
申さず候程に、此度思ひ立ち彼の御旧蹟へと赴き候。
「私は京都から来た一向専修の念仏者です。ところで私の師匠の親鸞聖人は、東国の世界で20余年を過ごし、地方の人たちを念仏で導きました。
なかでも相模国足柄下郡国府津は七年間逗留された霊場ですけれども、私はまだ参詣したことがありません。そこで今回思い立ってそのご遺跡へ向かったのです」。
続いて旅の様子を、
草に行き、露に宿りていさなとるいさなとる、海山かけて立つ雲の、いや遠ざかる
旅衣(たびごろも)、きのふと明し、けふと暮れ、かはるあるじの宿宿を、こえて
さ川(早川。はやかわ)の程もなく、江津の里に着きにけり着きにけり。
「昼間は草を踏んで歩み、夜中は夜露に濡れながら野宿をし、海や山に立つ雲を見ながら旅装束で毎日歩き続け、街道沿いの宿に泊まっていくうち、早川を越えると間もなく国府津の里に着きましたよ」と口調よく述べている。「いさな」は「海」の枕詞である。
早川は箱根山頂上の芦ノ湖の最北部から発し、箱根町から小田原市西部を流れ、JR東海道線早川駅の北で太平洋に注ぐ川である。