神奈川と親鸞 前編11回
建暦二年(一二一二)二月一日、鎌倉の将軍源実朝は次の和歌を塩谷朝業という御家人に贈った。近習の和田朝盛に持たせて、しかし「自分が贈ったとはいうな」と命じて。
君ならで 誰にか見せむ わが宿の
軒端ににほふ 梅のはつ花
「あなた以外の、いったい誰に見せましょうか。私の家の軒端で匂う、今年初めて咲いた梅の花を」。朝業はすぐ実朝の贈歌と見破り、次の和歌で返した。
うれしさも 匂も袖に 余りけり
我為おれる 梅の初花
「私の着物の袖にあまるほどのよい匂いとうれしさをいただきました。あなたが私のために折ってくださった、今年初めて咲いた梅の枝から」(『吾妻鏡同日条』)。
朝業は実朝の和歌の師匠であった。この時実朝は二十一歳、朝業は十歳あまり年上、若い二人は将軍と御家人という関係を超えて親しく交際していた。
一方、朝業は宇都宮頼綱の実弟で、宇都宮一族を代表して鎌倉に出仕していた。頼綱は下野国南部・中部から常陸国笠間郡を支配する大豪族である。また執権北条義時の妹を妻とし、母は京都の貴族出身という中央政界でも有力な存在であった。しかし元久元年(一二〇五)、その勢力を北条氏に危険視され、一族全滅の危機に追い込まれている。
頼綱は、その危機を自分と家来数十人の出家引退という形で乗り越えた。そして頼綱は京都に上って法然に入門し、熱心な専修念仏者となった。法名は実信房蓮生であった。
頼綱に替わって同母の弟塩谷朝業が幕府に出仕したが、宇都宮惣領としての立場は頼綱が維持していた。兄弟は終生仲たがいすることなく、方策を相談し合って宇都宮一族の発展に努力した。その方策の一つが、北条義時が盛り立てる将軍実朝に接近することであった。しかし当初の意図を超えて、実朝と朝業は親しい間柄になったのである。
神奈川と親鸞 第十一回 筑波大学名誉教授 今井 雅晴
仲間の念仏者たち⑶ 塩谷朝業―源実朝の和歌の師―