神奈川と親鸞 前編第4回

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神奈川と親鸞 前編第4回 筑波大学名誉教授 今井 雅晴 親鸞を知るために ⑶ 信心と報謝の念仏 専修寺対面所阿弥陀如来立像 説法印の阿弥陀如来立像。群馬県真岡市高田・専修寺蔵   弥陀の本願信ずべし。  「阿弥陀仏の本願を信じましょう」。これは親鸞の「夢告讃(むこくさん)」の第1句の文章である。「夢告讃」は、親鸞最晩年の85歳の時に作った『正像末浄土和讃』全85首の和讃(4句で作られている仏を褒めたたえる和文の詩)の前に置かれている。  親鸞が一生をかけて大切にしたのは、「阿弥陀仏のすべての人々を救おうという願い」を信じる心であった。その信心があれば念仏は口をついて出てくるというのである。  専修念仏を説いた法然には多くの門弟がいた。その門弟たちの間で問題になったのは、「念仏は心こめて一回称えればいい」という意見と、「いや死ぬまで称え続けなければだめだ」という意見の対立であった。前者を一念義(いちねんぎ)、後者を多念義という。親鸞は、回数にとらわれず信心を大切にして念仏を称えるという立場であった。  加えて親鸞が大切にしたのは、報謝の心で念仏を称えることだった。報謝というのは阿弥陀仏に救っていただけることに感謝し、それに報いよう(お返しをしよう)ということである。『正像末和讃』の最後は次の和讃で結ばれている。   如来大悲の恩徳は    身を粉にしても報ずべし。    師主知識の恩徳も    ほねをくだきても謝すべし。  「阿弥陀如来の慈悲の心から与えられた御恩には、身が粉になるほど努力してお返しをしましょう。師匠からの導きの御恩にも骨が砕けるほど努力してお返しをしましょう」。  これは真宗門徒の間でよく知られた「恩徳讃(おんどくさん)」である。門徒は、法要の最後に必ずこの「恩徳讃」を唱和するのである。また年間の法要でもっとも大切なのは、報恩講である。  親鸞の信仰は、念仏を信心と報謝で称えるところに特色があったのである。

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