神奈川と親鸞 前編第1回
童形(どうぎょう)の親鸞立像。京都市・誕生院
親鸞は鎌倉時代の念仏僧である。彼は浄土真宗の開祖として、その思想は悪人正機説として知られている。阿弥陀仏がほんとうの救いの対象にしているのは、善人ではなく悪人であるというのである。また門弟の唯円の『歎異抄』によっても、親鸞は有名である。
親鸞は、いまから八百数十年前の平安時代末期、承安3年(1173)に京都の中級貴族日野有範の子として生まれた。9歳で出家し、29歳で法然という念仏僧に出会って念仏の道に入った。35歳で越後に流されたが、数年後に許され、42歳で関東の常陸国(茨城県)に移って本格的な念仏布教の活動を進めた。親鸞の門弟たちの多くは関東で生まれている。また親鸞の主著である『教行信証』もこの関東で書かれた。
親鸞は60歳のころに京都に戻り、鎌倉時代の中期の弘長2年(1262)に90歳の長寿を保って亡くなった。京都ではあまり積極的に布教活動を進めた気配がない。関東での活動がなければ今日の浄土真宗はなかったであろうし、親鸞その人もあまり知られることはなかったであろう。
同じ関東でも、いままで、神奈川県と親鸞との関係は希薄であった。親鸞の伝記を語る場合には、彼が京都へ帰る途中の通過地点としか意識されてこなかったように思う。しかし実際のところ、親鸞は55、6歳の時から突然のように神奈川県に姿を現わし、以後積極的に活動を行なった気配がある。つまり神奈川県(相模国と武蔵国の一部)での活動は関東時代の後半、全体の三分の一にも及んでいる。ということは、親鸞の宗教にかつての神奈川県の人々も大きな影響を与えたということが推測される。
以上の認識のもとに、本連載は神奈川県と親鸞との関係を、県内に残る親鸞の遺跡を手がかりに明らかにしていこうとするものである。付け加えれば、歴史学・国文学・地理学等、親鸞の伝記研究を豊かにする学問分野は、日々新しい成果をあげてきている。古い常識は通用しないこともある。本連載はそれらの成果を参考にしながら進めていきたい。
本連載は毎週1回ずつ掲載していく。全体は前編・本編・後編の三部構成にし、前編は親鸞が神奈川県に姿を現わすまでを約30回にわたって掲載する。本編は親鸞と神奈川との直接のつながりを約40回にわたって、後篇は帰京後の親鸞と神奈川との関係を約10回にわたって掲載する予定である。合計約80回、1年半の長丁場であるが、お読みいただければ幸いである。
神奈川と親鸞 前編第1回 筑波大学名誉教授 今井 雅晴
連載にあたって