神奈川と親鸞 前編第2回

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神奈川と親鸞 前編第2回 筑波大学名誉教授 今井 雅晴 親鸞を知るために ⑴ 悪人正機説 歎異抄 『歎異抄』蓮如書写本   長い間、親鸞といえば悪人正機説、悪人正機説といえば親鸞ということで知られてきた。それが常識でもあった。しかし私は本連載の前回、つまり第1回の最後に「古い常識は通用しないこともある」と書いた。それがまさにこの悪人正機説に当てはまるのである。 悪人正機説とは、『歎異抄』第三章に、 善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや。 「善人でさえ極楽往生できるのですから、まして悪人が往生できないはずがありましょうか」とある内容である。この場合の善人とはは、極楽往生のために善行を積んでいる人で、悪人はそれが積めずに悪い行ないを繰り返してしまう人のことである。親鸞自身、悪いことばかり繰り返す罪の自覚には非常に深いものがあった。 ところがこの悪人正機説は、常識とは異なり、実は親鸞だけの思想ではなくて師匠の法然とその門下に広まっていた思想であった。それはもうかなり前に明らかにされている(末木文美士『日本仏教思想史論考』大蔵出版、1993年)が、世の中にはあまり広まっていない。 もう一つ、今日の常識と異なることがある。それは当時、「悪」とは「倫理的・道徳的に行なってはいけないこと、というだけではなかった」ことである。なんと褒め言葉でもあったのである。 鎌倉悪源太(かまくらの・あくげんた)と呼ばれた源義平。同じく悪左大臣の藤原頼長。悪禅師の源全成。悪七兵衛の藤原景清。悪権守の下妻広幹。彼らは皆、信じられないくらい戦争が得意で(義平)、学問がよくでき(頼長)、武芸が強い(全成、景清、広幹)と褒められていたのである。 つまり人間世界の外に人智を超えた大きな力があって、人間に働きかけ、それがよい結果になれば褒められ、悪い結果になれば非難される。人間は自分で自分を左右したり、救ったりすることはできない。それが当時の人たちの考えで、その苦しさの前にこそ絶対的な力持つ阿弥陀仏の救いが示された。それが悪人正機説であったと私は考えている。

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