神奈川と親鸞 第六十九回 筑波大学名誉教授 今井 雅晴
真楽寺と親鸞⑷─帰命石─
かつて国府津には中国からの船も逗留する港があった。中国はすでに宋の時代になって久しいが、依然として「唐」が代名詞として使われることが多かった。。
蓮如の謡曲『国府津』に、次の文がある。
扨(さ)ても古へ開山上人、此所に御逗留の折節(おりふし)、来朝せる唐船の中に、
高さ七尺横三尺余の霊石あり。則ち天竺仏生国の石なればとて、親鸞自ら御指を以て
二つの尊号を十字八字にあそばされしを、石の名号と申し奉り、安置せる所を則ち
真楽寺とは申し候。
「さてさて昔、親鸞聖人がこの国府津に滞在しておられたころ、日本に来た中国の船の中に縦七尺・横三尺余りの霊力がこもった石がありました。これは釈迦が誕生した所であるインドの石に間違いないと、親鸞聖人は自分の御指で「帰命盡十方無㝵光如来」という十字名号と「南无不可思議光佛」と書かれたのを、石の名号と申し上げており、それを安置してある所をすなわち真楽寺と申しています」。
この「霊石」は、その後、帰命石(きみょうせき)と呼ばれて真楽寺に伝えられてきた。ただし現在、この石は地面の中に埋められていて、その上に帰命堂がある。したがって帰命石を見ることはできない。『新編相模国風土記稿』にその模写が記載されている。
また帰命堂には帰命石の複製と拓本が安置されている。その銘文は、
右志者鏡空行光門弟一向専修念仏者等
帰命盡十方无㝵光如来
南无不可思議光仏
建武元戌十一月十二日同心敬白
である。真楽寺の寺伝では、中央の二つの名号は親鸞が書いたもので、左右の銘文は覚如が国府津に立ち寄った際に書き込んだものとしている。