神奈川と親鸞 第四十六回 筑波大学名誉教授 今井 雅晴
南足柄市の善福寺と「倶会一処の郷」
南足柄市怒田(ぬた)の善福寺の開基は、親鸞六老僧の一人である了源である。善福寺の伝えでは、了源は伊豆東海岸の大豪族伊東祐親の孫祐光であった。祐親の娘は北条時政と結婚して義時や政子を生み、また別の娘は源頼朝と結ばれて千鶴丸(ちずるまる)を生んでいる。頼朝の最初の子である。
しかし治承4年(1180)挙兵した頼朝・時政を鎮圧すべく戦って捕虜となり、命を助けられたものの恥じて自ら死を選んだ。それは現在の逗子市鐙摺(あぶずり)の地においてであったという。
ところで善福寺には「倶会一処の郷」がある。これは犬や猫など、ペットも一緒に入ることのできる新しい形式の家族墓である。従来、(人間の)墓所あるいは寺院の境内にペットを埋葬することは難しいことであった。農家の人が畑の端や林の近くなどに犬や猫、あるいは牛馬を埋葬することは昔から行なわれていた。その際、短い木の枝二本をT字形に縛り、墓標として立てることも行なわれていた。筆者も実際に何度か見たことがある。
近年では、境内の目立たない隅の所にT字形墓標があるのを見たことがある。また境内に広く立派な墓石付きの分譲墓地がある寺院もある。そきには付随して小さなお堂が建っていて、その中は生前のペットが好きだったお菓子や、ゆかりの服などがきれいなケースの中に収められていた。いずれも浄土真宗寺院である。
しかし善福寺のような家族墓は珍しい。善福寺では「言うまでもなく、ペットはかけがえのない大切な家族です」「人の命もペットの命も、等しく尊いものです」という考えのもとに、「特別限定区画ということで家族墓が実現いたしましした」(同寺案内パンフレットより)そうである。それが「倶会一処の郷」である。
親鸞の時代のことではないけれども、今回は新しい時代に向けての寺院のあり方の一つとして善福寺の「倶会一処の郷」を紹介した。