神奈川と親鸞 第三十八回 筑波大学名誉教授 今井 雅晴
佐々木高綱と茅ヶ崎の上正寺⑶─聖徳太子像─
浄土真宗寺院では、聖徳太子の画像または彫像を本堂の内陣に安置することが一般的である。聖徳太子に対する崇敬心は平安時代中期に天台宗の世界で始まった。鎌倉時代に活躍した天台宗出身の法然・証空・親鸞・一遍らには皆強い聖徳太子信仰があった。ひとり親鸞だけではない。それなのに、親鸞以降の浄土真宗で聖徳太子信仰が強調されていくことには、特別の理由があったということであろう。
聖徳太子像は、一般的に次の6種類の姿で表現される。
⑴ 南無仏太子像(南無太子像)。2歳
太子は2歳の時の春2月15日に、東を向いて合掌し、「南無仏」と唱えたという。その姿を表現したのが南無仏太子像である。上半身は裸で、下半身には緋色の裳(も)をつけている。
⑵ 童子形(ぎょう)太子像。7歳
学問を始めた年という。
⑶ 孝養(きょうよう)太子像。16歳
父用明天皇の病気平癒を祈願する姿を表わしたもの。両手で香炉を捧げている。
⑷ 馬上太子像 16歳
仏教を広めることに反対した物部守屋を討った時の姿。
⑸ 摂政太子像 30歳
伯母推古天皇の摂政として政治を行なった姿を表わしたもの。両手で笏を持つ。
⑹ 講讃太子像 35歳
『勝鬘経』の講義を推古天皇に行なった時の姿。袈裟を着け宝冠を被っている。上正寺の聖徳太子像は南無仏太子像で江戸時代初期に制作されたと推定される。目の光に威厳のある太子像である。