神奈川と親鸞 第二十三回 筑波大学名誉教授 今井 雅晴
鎌倉での一切経校合⑶ 親鸞の一切経校合―『口伝抄』から➀―
如信坐像。茨城県大洗町・願入寺蔵
覚如の『口伝抄』に親鸞の一切経校合の話が出てくる。この『口伝抄』は覚如の考えを述べたものには違いないけれども、実は高弟の乗専が覚如の講義を筆記したものである。覚如は、元弘元年(一三三一)十一月の報恩講で二十一日から二十八日までの七日間、浄土真宗の教義や歴史について講義をした。乗乗はそれを筆記し、翌年二月に清書し終わった。当然、覚如への問い合わせの上であろう。本書の内容は、『口伝抄』の最初に、
本願寺の鸞聖人、如信上人に対しましましてをりをりの御物語の条々。
「本願寺親鸞聖人が如信上人に向って機会あるごとに語られた多くの話」を、覚如が如信から伝えられたもの、というのである。如信は親鸞の孫で、親鸞を慕い、親鸞から多くを学ぶ意欲の強かった人物である。覚如は親鸞を本願寺第一世、如信を第二世に据え、自らを第三世としている。『最須敬重絵詞』に、
一すぢに聖人の教示を信仰する外に他事なし。これによりて幼年の昔より長大の後にいたるまで、
禅牀のあたりをはなれず、学窓の中にちかづき給ければ、
自の望にて開示にあづかりたまふ事も時をえらばず、他のために説化し給ときも、
その座にもれ給ことなかりければ、聞法の功もおほくつもり、能持の徳も人にこえ給けり。
「親鸞聖人の教えだけを信じ大切にする以外のことはありませんでした。このことから、幼い時から成人した後も、聖人が座る腰掛付近を離れず、聖人が勉強している部屋に入っていました。それで折に触れては聖人に質問して教えてもらい、また聖人が他の人に教えてている時も、必ずその席にいました。そこで聖人の心からの教えを多く受け取り、その教えはすべて記憶することは普通の人を超えていました」とある。
『最須敬重絵詞』は覚如の伝記で、著者は『口伝抄』の筆記者と同じく乗専である。乗専は、如信を尊敬する覚如の気持、また第二世に据えた政治的意図も十分に理解していたであろう。そのことも念頭に置いて『口伝抄』の一切経校合の記事を見ていきたい。