法然聖人とその門弟の教学
第3回 「順彼仏願故」
武蔵野大学通信教育部准教授 前田 壽雄
念仏といえば、「南無阿弥陀仏」と称える称名念仏を連想しますが、文字通りに解釈すると、仏のすがた(相好)やはたらき(功徳)を心に思い描くという「心念」であり、それがもともとの意味であったと考えられます。
仏教の辞典を開いてみても、「念仏」の意味は、「①仏を憶念すること。仏の功徳や相を心におもい浮かべること。観念の念仏。②六念(仏・法・僧・戒・施・天の六つを、それぞれ心静かに念ずること)の一つ」とあって、最後に「③「南無阿弥陀仏」と六字の名号を口に称えること。称名念仏」と説明されています(中村元『佛教大辞典』、東京書籍)。
ところが、法然聖人の念仏とは、観念の念仏ではなく、ただ口に阿弥陀仏の名号を称えるという「称名念仏」の一行です。「ただ念仏」に帰結する過程を考えてみますと、まず法然聖人が多大の関心を寄せたのが、比叡山で浄土教を説かれた源信和尚(恵心僧都)の『往生要集』でした。
『往生要集』の念仏は、世親(天親)菩薩の五念門であり、浄土に往生したいという心を起こして、心を浄土に専注し、阿弥陀仏のすがたを思い浮かべる行が中心です。そのため『往生要集』には、阿弥陀仏のすがたを観念する能力のない者に対して、はじめて称名念仏が説かれます。法然聖人が重視されたのは、この心を集中することができない凡夫にとって実践可能な行でした。そこで『往生要集』に引用されていた、中国唐の善導大師の文に注目されていかれました。
法然聖人は、一切経(仏教のすべての経典)をご覧になるたびに、善導大師の文を注意して読まれること三度、ついに心が乱れる凡夫が念仏を称えれば、浄土に必ず往生できるという確信を得たのです。その善導大師の文とは、
一心に専ら弥陀の名号を念じて、行住坐臥に時節の久近を問はず念々に捨てざるは、
これを正定の業と名づく、彼の仏の願に順ずるが故なり。(『観経疏』「散善義」)
でありました。この文は、「心を一つにしてひたすら阿弥陀仏の名号を称え、歩いているときも、とどまっているときも、座っているときも、臥しているときも、時間の長短に関わらず、常に忘れずに続けてやめないことを、正しく衆生の往生が決定する行であるといいます。なぜならば、それは阿弥陀仏の本願にしたがっているからです」という意味です。
法然聖人は、この文を「ふかく魂にそみ、心にとどめ」られていますが、それは称名念仏が、阿弥陀仏のすべてを救おうという願いにかなった行にほかならなかったからです。