神奈川と親鸞 前編71回

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神奈川と親鸞 第七十一回 筑波大学名誉教授 今井 雅晴
厚木市岡田の長徳寺

長徳寺山門。


 長徳寺は、寺伝によると平安時代最末期の寿永2年(1183)、浄光という僧侶が真言宗の寺院として開いたといいます。親鸞がちょうど10歳になった年です。比叡山において9歳で出家してからまだ2年目だったということになります。
 それから49年後の寛喜元年(1229)、57歳の親鸞は国府津の真樂寺に逗留、念仏の教えを伝えていました。浄光はその真樂寺で親鸞に会って門弟にしてもらい、浄光という法名を与えられたと長徳寺の寺伝では伝えています。
 その後、戦国時代末期までの長徳寺の展開は明らかではありません。戦国時代末期、当地岡田村の領主で津久井城の城主であった内藤左近将監の尽力により、小田原の北条氏直から朱印地10石を与えられたといいます。その伝えを裏づけるように、長徳寺には戦国時代制作を思わせる立派な阿弥陀如来立像と、聖徳太子立像がとが伝えられています。
 江戸時代に入って元禄16年(1703)、長徳寺は火災に遭って本堂等が焼けてしまいました。その後、聖徳元年(1711)に建立されたのが現在の本堂です。
 神奈川県の浄土真宗寺院には、重量感があり、同時に威厳のある聖徳太子立像を安置している寺院が多くあります。関東の他の都県には見られない特色です。それは鎌倉時代から鎌倉に仏所(仏像を制作する組織)が成立し、連綿と引き継がれたからでしょう。
 ところで「聖徳太子」といえば、日本で教育を受けた者なら誰でも知っている存在です。しかし文部科学省の指導要領の改訂で、まもなく、社会科ないし日本史の教科書からは「聖徳太子」の名が消えることになりました。浄土真宗の世界では厄介なことになりそうです。これも時代に流れでしょうか。(3月20日付新聞に「消えることは撤回」とありました)
 さて、長徳寺の山門をくぐると美しい日本庭園が展開します。池には緋鯉・真鯉が泳ぎ、築山を中心にした周囲には椿・梅・牡丹・ツツジなどが形よく植えられ、それぞれの時期に花開き、秋には紅葉も楽しめます。静かな雰囲気の寺院です。

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